台湾・台東県(縣)ニュース

日本人にはあまり馴染みのない東台湾・台東縣。今、台東縣では地域活性化・地方創生を成功させ、確実に成果を挙げています。その台東縣の最新ニュースをお届けします。

台東縣池上郷のスローシティ産業推進計画

台9線(国道9号線)で花蓮縣から台東縣へ入ると、最初の場所が池上郷。

池上郷は、台湾でも有数のお米の産地で、「池上米」はブランド米となっている。さらに、池上で有名なのが「池上便當(弁当)」。

この池上郷を管轄するのが、池上鄉公所(役場)。

池上鄉公所では、「臺東縣池上鄉慢城產業推動計畫(台東県池上郷スローシティ産業推進計画)」を打ち出し、SNS上で11月から「店家故事(店舗ストーリー)」を不定期ながら投稿している。

今日は、11月~12月まで紹介された「店家故事(店舗ストーリー)」を一気にご紹介します。

特に今回の内容は、地方から都会へ出て働き、心身ともに疲れて切っている方には是非、ご一読頂きたい内容です。

 

三代三花手作り工房|池上・山麓の大地に受け継がれる想い 

池上郷・錦園村に足を踏み入れると、青草の香りと土の匂いが漂い、素朴な佇まいの家屋の中では、木の棚に整然と並べて干された豆腐が目に入ります。ここが「三代三花手作り工房」です。

創業者の賴瑰洳さんは、母・呉三花さんの技を受け継ぎ、自家栽培の農作物を使って、豆腐乳(豆腐の発酵食品)や梅加工品を作り続け、伝統の味を池上の大地に根づかせています。

頼瑰洳さんはUターン後、農作業と豆腐乳づくりに忙しい母を手伝うようになり、市場での販売を通じて、次第に「土地から始まる暮らし」の魅力に惹かれていきました。母娘で人々と交流するうちに、やがて娘(孫)も手伝うようになり、三世代の女性がともに味を受け継ぐことから、「三代三花」という名前が生まれました。それは、三代にわたる温もりと継承の象徴です。

 

かつて母は、経験と感覚だけを頼りに、昔ながらの製法で梅や豆腐乳を作っていました。事業を引き継いだ後は、計量、記録、工程の標準化を導入し、品質の安定と効率向上を実現。母も次第に現代的な製法を受け入れるようになったといいます。

彼女は笑ってこう語ります。

「伝統を続けるためには、時代とともに進化しなければならない。」

母娘は試行錯誤を重ね、一本一本の豆腐乳を通して、確かな信頼と息の合った関係を築いていきました。

三代三花は、自家農園で栽培した作物のみを使用し、化学添加物は一切使いません。豆腐は日干し、裏返し、蒸し、そして数か月の発酵を経て、時間と自然が生み出す独特の風味に仕上げられます。

また、「豆腐乳DIY体験」も提供し、観光客に発酵と時間の不思議を手仕事を通して伝えています。

さらに、完熟した梅を活かした「熟梅ソース」を開発し、一粒一粒の実を大切に使い切る工夫も。

「私たちは、少しゆっくりでも、価格のために妥協はしません。」

今、この仕事は彼女にとって責任であり、縁そのものです。

「私ができる限り、続けていきます。」

家の前の陽だまりの中で、今日も彼女は腰をかがめ、干した豆腐を丁寧に確かめています。

それは、母の味を守り、そして池上の“ゆったりとした美しさ”を守り続ける姿でもあります。



里山藝術工作室|池上で夢と暮らしを紡ぐ

池上傳統市場(池上伝統市場)の近くに、手仕事の温もりに満ちた空間があります――「里山藝術工作室」。

室内には布地や刺繍、絵画が並び、オーナーの杜如月さんはベトナム出身。彼女はこの土地で、創作を通して自分自身の暮らしと夢を丁寧に編み上げています。

 

杜如月さんは、学者の家庭で育ち、父は彼女が研究の道に進むことを望んでいました。しかし、彼女が本当の喜びを感じたのは絵を描いている時でした。14歳の時、芸術を学びたいと正直に打ち明けると、父は「成績を維持すること」を条件に夢を追うことを認めてくれました。その後、服飾デザインを専攻し、絵筆は布や衣服へと広がっていきます。優秀な成績が評価され、台湾の大学院への留学推薦を受け、新たな創作の旅が始まりました。

留学中に池上出身の夫と出会い、結婚後、コロナ禍を機に池上へ移住。大きな転機の中で、彼女は自分自身の創作拠点を持つことを決意し、「里山藝術工作室」が誕生しました。

工房には、彼女がデザインしたリネンの服、布バッグ、刺繍絵が並び、花や草、田んぼ、動物など、自然をテーマにした作品が多く見られます。また、他のアーティストとの共同制作にも積極的で、かぎ針編み、陶錫、版画などを融合し、大地の質感を作品に取り込んでいます。

共同制作について、目を輝かせながら彼女はこう語ります。

「一緒に創る過程はとても不思議。お互いの得意分野から、まったく新しいものが生まれるんです。」

興味深いことに、池上の子どもたちがふらりと工房を訪れ、質問を投げかけることも多く、その何気ない対話が、彼女自身に創作を見つめ直すきっかけを与えてくれるといいます。

「ここは作品を展示するだけの場所ではなく、対話が生まれ、互いに刺激し合える場所。」

 

彼女は、芸術は遠い存在である必要はなく、日常から生まれ、また暮らしへと還っていくものだと信じています。

ベトナムから台湾へ、都市から池上へ――。

彼女は両手で、記憶と自然を布に縫い込み、この土地を自らの温もりで、よりやさしく、しなやかな場所へと変えているのです。



​稻米原鄉館|一杯のごはんの香りから知る池上

池上郷を訪れ、伯朗大道や天堂路周辺を歩いていると、思わず目を引かれる古風な建物があります。白い壁に赤レンガの外観、入口には案山子や牛車が置かれ、素朴で懐かしい雰囲気を漂わせています。ここが「稻米原鄉館」。

地域の特色、文化教育、そして食の体験を融合させた多機能な拠点であり、萬安社區(万安コミュニティ)の誇りでもあります。

 

原郷館の前身は、かつて農会が肥料を保管するために建てた倉庫でした。その後、長年使われずにいましたが、政府の支援を受けて整理・改修が行われ、古い空間は見事に再生しました。

現在、館内には当時の記憶を宿す品々――古い写真、さまざまな品種の稲米、木製の農具、そして昔ながらの精米機などが展示されています。静かに見つめていると、米粒が転がり落ちる軽やかな音まで聞こえてくるようです。

「ここは展示の場であるだけでなく、私たちの暮らしそのものを映す場所です」と、館長の葉玉瑩さんはよく語ります。

原郷館がリニューアルオープンしてから、気さくで、人とのコミュニケーションが大好きな彼女は運営に深く関わり、さまざまな業務を支えてきました。やがて縁あって館長を引き受け、持ち前のコミュニケーション力と発想力で、地域住民とともに多彩な体験プログラムを開発。

土窯料理体験、米食DIY、米を使ったアート制作、稲の香りを楽しむマッサージ木槌づくり、さらにはトラクター体験や集落ガイドツアーまで用意されています。

彼女は笑顔でこう話します。

「もっと多くの人に池上の物語や米文化を知ってほしいし、農村の暮らしを身近に感じてもらえたら嬉しいです。」

池上を訪れたら、ぜひ原郷館に足を運び、この土地の過去と現在に触れてみてください。

昼どきには、花柄の布をめくり、昔ながらのどんぶりご飯を味わい、阿嬤(おばあちゃん)手作りの漬物を添えて。窓の外に広がる黄金色の稲穂を眺めながらのひとときは、お腹を満たすだけでなく、心まで滋養してくれる旅となるでしょう。



好煎炸|池上でいちばん心が温まる手作り春巻き店 

夜明け間近の池上の小さな町。空はまだほの暗く、夜の名残の薄い霧が漂う中、大通りではすでに一軒の小さなお店が動き始めています。そこで一枚一枚、手作業で作られているのが潤餅(ルンビン)の皮。ここが、宏緯さんと韋貞さんが二人で営む、揚げ春巻き専門「好煎炸」です。

 

宏緯さんの家は、もともと台北・蘆洲で潤餅の店を営んでおり、彼は幼い頃から店を手伝い、潤餅の皮作りや具材の組み合わせに自然と親しんできました。26歳のとき、伝統産業の会社を辞め、自分の将来について考え始めます。実家の潤餅店に戻った彼は、「自分だけの潤餅を作りたい」と思うようになりました。

「家の潤餅は伝統的で、仕込みがとても大変。一人でも作れて、しかも美味しさを残せる形にしたかったんです。」

そうして生まれたのが、潤餅の技術を応用した“煎炸春捲(焼き揚げ春巻き)”。卵や野菜、肉を包み、注文を受けてから調理することで、香ばしさとサクサク感を大切にしています。

ある時、池上に住む友人から、自主開催の小さなマルシェ「縱谷山腳下」への出店に誘われました。宏緯さんは煎炸春捲を持って参加し、思いがけず大好評を得ます。

「待ち時間が長くても、好きな味が売り切れてしまっても、みんな笑顔で、食べ終わると『美味しかった!』って声をかけてくれるんです。」

その穏やかで温かな空気は、台北の張り詰めた日常とはまったく違い、二人の心に“都会を離れたい”という思いを静かに芽生えさせました。

台北に戻った後、二人はすぐに決断します。これまでの仕事環境を離れ、池上へ移住することを。

池上の暮らしはゆったりしていますが、「好煎炸」の仕込みは決して楽ではありません。春巻きの皮から具材まで、すべて手作業・出来立てにこだわる――それは食材への敬意であり、訪れる人に「本物で、安心できる味」を届けたいという二人の想いそのものなのです。



好和院景 Howhas|風の声に耳を澄ます場所

夜になると、田んぼの向こうから淡い灯りが静かににじみ出し、穏やかな村にやさしい色を添えます。その光は、落羽松の木々に囲まれて佇む白い建物から。

夜風に枝影が揺れ、室内では猫がゆったりと歩き回り、旅人は民宿の大きな窓越しに外を眺めます。池上の夜は、自分の呼吸さえ聞こえるほど静かです。

——ここが、張俊偉さんが自ら手がけた民宿「好和院景 Howhas」。

扉を開けると、猫の足音、木の香り、そして静けさが迎えてくれます。彼はこの場所で、旅人に歩みを緩め、心の声に耳を傾けてほしいと願っています。

張俊偉さんはかつて軍人でした。16歳で家を離れ、十数年を軍務に捧げる中、娘のアレルギーがきっかけで医師から「環境を変えたほうがいい」と勧められます。そこで退役し、故郷へ戻り、清らかな空気と穏やかな暮らしを求めて池上へ移住しました。

最初は小さな食堂から始め、やがて民宿へ。一つ一つのレンガを自分の手で積み上げた。

「ここは一生住みたい場所なんです」と彼は語ります。最初の7年間は、パートナーの阿強とともにレストランと宿を並行して運営し、忙しさに追われる日々でした。やがて彼は決断します。レストランを閉じ、本当に望む生活のリズムと、民宿だけを残すことを。

また張俊偉さんはマカタオ(馬卡道)族の一員でもあり、かつては文化復興や祭儀の推進に力を注いできました。しかし次第に、「文化は形だけで残すものではなく、生活の中に自然に息づくべきもの」だと気づきます。そこで民宿には、部族の織物や物語を展示し、日常の対話の中で文化が静かに受け継がれる空間をつくりました。

「Howhas」という名は、祖母が幼い頃の彼にかけていた呼び声に由来し、「静かにして、風の音を聞きなさい」という意味を持ちます。それは宿の名前であると同時に、彼自身への人生のメッセージ。——静けさがあってこそ、心と土地の声が聞こえる。

今の「好和院景」に華やかな計画はありません。あるのは、誠実さと温もりだけ。彼は微笑みながら言います。「多くを語らなくても、ここに来れば、この静けさを感じてもらえるはずです。」



心繫山嵐|池上で見つけた、心ほどける静けさ

午後の陽光が池上南端の山裾に降り注ぐころ、目立たない小道の脇に、三階建ての白い建物が静かに佇んでいます。旅人が扉を開けると、木の香りとお茶の香りがふわりと広がり、主人が微笑みながら声をかけます。

「まずは座って、冷たい水出し茶をどうぞ。」

ここは民宿「心繫山嵐」。自然と歩みがゆっくりになる場所です。

 

オーナーの厳卉雅さんは台南出身。10年前、初めて池上を訪れ、黄金色の稲波に心を奪われ、「いつかここで暮らしたい」と思うようになりました。大学卒業後、花東エリア(花蓮・台東)でのワーキングホリデーの旅に出て、池上の民宿「曬穀場」で宿運営を学び、そこで後に夫となる黄清譽さんと出会います。

二人は力を合わせ、最初の民宿「原來宿」を開業。彼はデザインと内装を担当し、彼女は接客とサービスを担いました。厳卉雅さんは旅人との日常的な会話が好きで、宿泊を「生活の延長」にしたいと考えてきました。

その経験を重ね、二軒目の民宿として誕生したのが「心繫山嵐」。

田園の縁に建ち、窓の外には開放的な山の景色が広がります。空間は木を基調に自然光を生かし、グレイッシュな左官壁、グリーン、そしてほのかな茶の香りが、侘び寂びの美を静かに表現。客室ごとにテーマと物語があり、まるで我が家のような温もりがあります。

厳卉雅さんが大切にしているのは「温もりのあるおもてなし」。毎朝、自ら朝食を用意し、旅人と池上の風土について語り合います。

「朝食は交流のきっかけ。土地の本当の姿や温もりを感じてもらえる時間なんです。」

宿泊にとどまらず、瞑想ヨガやシンギングボウル(頌缽)の体験など、新たなコラボレーションにも挑戦し、旅の中で自分自身と向き合う時間を提供しています。彼女にとって民宿は、無機質なサービスではなく、“暮らしを分かち合うこと”。

 

運営は細かな手間も多く、設備のトラブルもありますが、厳卉雅さんは常に自分とスタッフに言い聞かせます。

「細部への感覚を、忘れないこと。」

やさしい歩調で民宿を営む彼女の姿は、池上を訪れる人々に、風の音と陽だまりの中で、心が静かに整う時間を届けています。



春田喜樂|米の香りとそよ風で綴る、青春の池上物語

午後の陽射しが伯朗大道沿いの田んぼに降り注ぎ、そよ風に揺れる黄緑色の稲波がゆっくりとうねります。自転車で走ってきた旅人が田畑のそばで足を止めると、デザイン性の高い一軒の建物が静かに佇んでいます。木の扉を開けると、ふわりと漂うコーヒーの香り。

「春田喜樂へようこそ。」

そう微笑んで迎えてくれるのが、このカフェのオーナー・郝皓婷さんです。

 

彼女の両親は、すぐ隣で民宿「莊稼熟了」を営んでいます。

「子どもの頃から両親ととても仲が良く、一緒に民宿の手伝いや旅人のお迎えをしてきました。池上での暮らしが自然で、好きなんです。」

大学は花蓮の東華大学へ進学。家から近く、民宿も手伝える環境を選びました。

「遠い将来のことはあまり考えず、一歩ずつ、ゆっくり進みたいんです。」と彼女は笑います。

料理とスイーツが大好きな郝皓婷さんは、大学3年生のときに「自分の店を持ちたい」と決意。空間デザインは両親がサポートし、メニュー構成や食材選びは彼女自身が担当しました。

2024年6月にオープンした「春田喜樂」は、家で育てた池上米を主役に、米のパンナコッタや米のクレープなど、創意あふれるメニューを提供。これまで脇役だった“お米”を、堂々たる主役へと押し上げました。

 

現在は店舗も小さく、営業は週末のみ。仕込みから接客まで彼女が一人でこなし、旅人一人ひとりの笑顔を大切にしています。

「サービス業は想像以上に大変。でも、その分、両親のすごさがよく分かりました。」

将来は本格的に専業で運営し、動線や空間を整え、民宿とも連動させながら、コーヒーと米の香りで池上を感じてもらえる場を広げていきたいと考えています。

「春田喜樂は、写真を撮るだけの場所じゃなくて、立ち止まって、ゆっくり話ができる場所でありたい。」

両親のUターン創業の精神を受け継ぎ、彼女は青春の時間で“家族の物語”を紡いでいます。この土地は、三代にわたる温もりを静かに見守ってきました。

 

池上の風はやさしく、稲波は今日も揺れ続けています。

皓婷さんは田んぼのそばで、一杯のコーヒーと米の香るスイーツを添えながら、自分らしい池上の日常を、やさしく描き続けています。



原鄉豆花|一杯の甘味に込められた、帰郷の物語

午後の池上。陽射しが通りに降り注ぎ、空気の中にほのかな大豆の香りが漂います。素朴な佇まいの小さな店へ足を踏み入れると、鍋ではシロップがことことと煮え、紅豆(小豆)、花生(ピーナッツ)、小粉圓(タピオカ)が整然と並んでいます。ここが「原鄉豆花」。店主・劉洪瑛さんが、池上で三十年紡いできた味の場所です。

 

劉さんは、友人から引き継いだ豆花の屋台をもとに、食感を一から見直しました。非遺伝子組み換えの大豆を選び、手作業で弱火にかけて丁寧に炊き上げ、一般的に使われがちなにがりや石膏の代わりに寒天を使用。これにより、さっぱりとしながらも独特の口当たりの豆花が生まれます。

さらに、店の“魂”とも言えるのが自家製の糖水。甘すぎず、後味は軽やか。トッピングは季節に合わせて変わり、定番の紅豆、緑豆、花生、小粉圓に加え、鳳梨(パイナップル)、桑椹(マルベリー)、洛神(ハイビスカス)、地瓜圓(さつまいも団子)などが旬に応じて登場します。多くの具材は毎日仕込み、毎日炊く——

「どれ一つとして手を抜けません。お客さんは、ひと口で分かりますから。」と、劉さんは静かに語ります。

 

冬になると豆花の売れ行きが落ちるため、季節の波に向き合いながら簡単な食事の提供も始めました。池上産の良質なお米に、家庭的なおかずを添えた素朴な定食は、量も味も満足感たっぷり。長年通う常連客も多く、

「子どもの頃、両親に連れられて来て、今では自分の子どもを連れて戻ってくる人もいるんですよ。」

そう話す劉さんの目には、やさしい笑みが浮かびます。

 

「原鄉(ふるさと)」という店名は、そのまま彼女の心の落ち着きでもあります。東海岸の成功郷から、桃園での仕事を経て、再び池上へ。急がず、遅すぎず、一歩一歩が暮らしの深みへと続いていきました。その道のりで見てきた風景や想いは、すべて一杯一杯の、なめらかな豆の香りに溶け込んでいます。

 

家の味は簡単に真似できない——そう言われます。けれど池上には、記憶をそっと守りながら、帰ってくる人も、旅の途中の人も、やさしく迎えてくれる豆花の店があります。



歸來(帰還)|王群翔と池上の食卓、再び出会う物語

池上の伯朗大道沿い、稲田のそばに佇む一軒の控えめな古民家。華やかな装飾はなく、数台の食卓と、米の香りが漂う厨房があるだけ。主人の王群翔さん、皆からは親しみを込めて「翔哥(シャンクー)」と呼ばれています。

彼は笑顔で炊きたてのご飯を運び、「さあ、どうぞ」と、まるで久しぶりに再会した友人を迎えるかのように招き入れます。ここは、池上米を主役にした風土の饗宴、「スロー・フード家宴(ホームパーティー)」です。

 

翔哥はかつて航空機整備士として働いていましたが、料理への強い情熱から料理人へ転身し、台北のフレンチレストランでシェフを務めました。長年の厨房作業による油煙で気管を痛め、都市を離れて東部へ戻る決断をします。

池上の澄んだ空気は、彼が生活と創作を取り戻す出発点となりました。体調を整えた後、「王群翔慢食家宴(王群翔スロー・フード家宴)」を立ち上げ、池上米と地元食材を軸に、中洋折衷の技法で驚きに満ちた料理を生み出します。

代表作の「米三種の食べ方」——蒸煮白飯(蒸しご飯)、烤飯(焼きご飯)、燉飯(リゾット)——は米の多様な表情を引き出し、美食評価【500盤】にも選ばれました。

 

彼はかつて台東糖廠や淡水の商業施設でも店を構えましたが、速すぎるリズムの中で、池上の穏やかさをいっそう恋しく感じるようになります。常連客の「やっぱり、ここで食べるのがいい。古い家があって、田園があって」という一言が、彼を再び故郷へと導きました。

現在は全国の農漁業者と協力し、柑橘、深層海水で育てた白エビ、チェリーダックと池上米を組み合わせ、島の風味を描く料理の地図を紡いでいます。食事の席では自ら食材の物語を語り、「おいしく食べることが、農家の暮らしを支えることにつながる」という理念を伝えています。

「料理は、コミュニケーションなんです。」

翔哥の食卓には、風土、時間、そして人情が溶け合っています。離れ、そして戻ってきたからこそ分かる土地の温もり——池上の味は、一口の米の香りとなって、最も心に残る記憶として刻まれていきます。



阿嬤の店|池上でいちばん温かい味

池上の中東三路の路地角に、目立たないけれど、いつも食欲をそそる香りが漂う麺屋があります。——「阿嬤(おばあちゃん)の店」。

30年以上にわたり、おじいちゃんとおばあちゃんが二人三脚で営んできた老舗の屋台で、ここで提供されるのは麺だけではなく、「家の味」そのものです。

 

午後の陽射しが店先に差し込むころ、阿嬤は小さな丸椅子に腰かけ、唐辛子の皮むきに精を出しています。鍋いっぱいに広がる真っ赤な唐辛子を前に、にこやかにこう言います。

「私の唐辛子はとっても辛いよ。麺と一緒に食べると最高なの!」

メニューに並ぶ「略大(少なめ)・豪情壮志・阿嬤威能」という表記は、量の違いを表すだけでなく、彼女の豪快な人柄そのもの。

二人は慶豐に住み、毎朝早くから麺と仙草作りを始めます。阿公(夫)は薪火で数時間かけて仙草を煮込み、香りをしっかりと閉じ込める役目。阿嬤はサツマイモの葉、煮卵、唐辛子の漬物を準備します。昼前になると、食材を小さなトラックに積み、店へ運んで販売します。

 

看板メニューの仙草麺を頼むと、澄んだスープからほのかな草の香りが立ち上り、麺には繊細な繊維が見て取れます。煮卵と唐辛子を添えれば、素朴ながら奥深い味わい。付け合わせの湯がいたサツマイモの葉に肉そぼろをかけた一皿も、家庭的なおいしさを添えてくれます。

食事の合間に、阿公は若い頃、大坡池で魚を獲っていた思い出を語ります。当時は魚が豊富でしたが、水位が下がるにつれ、仙草や米苔目を売るようになり、池上の人々と幾度もの夏を共に過ごしてきました。

今では、仙草ゼリー、仙草茶、さらには「仙草水餃子」までが旅人に人気です。阿嬤によると、ワーキングホリデーで滞在した女の子が忘れられず、今も宅配で取り寄せているのだとか。

高齢になった今も、夫婦は毎日変わらず厨房に立ち続けています。それは、お客さんに「お腹いっぱい、幸せになってほしい」から。

帰り際、阿嬤は笑顔でこう声をかけます。

「麺は残さず食べてね。それでこそ、私のスープに報いることになるから。」

その一言は、池上の陽射しのように、心まで温めてくれます。



水也上居|池上米を、毎日のぬくもりの味に

「水也上居」は、阿哲と阿文の二人によって立ち上げられました。二人はもともと台北で、強いプレッシャーのかかる仕事に就いていました。

阿哲は池上出身で、長年ガイドとして中国本土からの団体客を率い、各地を飛び回る日々。阿文は広告音楽の作曲家で、昼夜逆転の生活を送り、長時間スタジオにこもる毎日でした。ある日、体が限界を迎え、「一度立ち止まらなければならない」と気づきます。

二人は思い切って休みを取り、海外へ旅に出て生活を見つめ直しました。帰国後、忙しさに満ちた都市を離れ、阿哲の故郷・池上で新しい暮らしを始めることを決意します。

ちょうど、叔母が使っていなかった中華路の三角地にある古い雑貨店が空いており、その場所を借りて、自分たちの手で設計・改装を行いました。壁、家具、メニュー構想まで、すべてに関わり、「自分たちのスローライフの店」を形にしたのです。

 

「帰ってきたのは理想のためじゃない。ただ、ちゃんと生きたかっただけ。」

そう笑う阿哲ですが、品質へのこだわりは一切妥協しません。阿哲は、阿哲の家で育てた玄米を主原料に使い、自然な米の香りが広がる焼き菓子を生み出しています。店の料理は“米”が主役。米バーガー、フレンチ風米トーストセット、米のパンナコッタが人気メニューです。

米トーストは外は香ばしく中はふんわり、噛むほどに香りと弾力が広がります。米のパンナコッタは黒ごまを添え、コクがありなめらかな口当たり。なかでも注目の米スフレは毎日手作りで、最高の食感を守るため予約は受け付けません。卵を立て、焼き上げ、チーズソースをかけるまで、すべての工程に丁寧さが込められています。

 

こうした想いと手仕事が、「水也上居」を旅人が歩みを緩められる憩いの場所にしています。

二人は、手作りと誠実さで暮らしのリズムを表現し、池上米の香りを料理と物語へと変えました。ここを訪れる人々は、池上ならではのやさしさと、ゆったりとした時間を、ひと皿ごとに味わうことができるのです。



地雞町|池上の古民家に漂う花の香りと鶏スープ

夕暮れ時、池上・中山路は静けさに包まれ、「地雞町」の木の扉の向こうから、ふわりと鶏スープの香りが漂ってきます。

店主の賴文貞さんと夫の方健祐さんは、もともと飲食業の出身ではありません。

賴文貞さんは台東縣太麻里郷出身で、大学では財経法律を専攻。一方、方健祐さんは家業の養鶏を継ぎ、父の急逝をきっかけに滴鶏精(鶏エキス)のブランド事業に携わるようになりました。

2016年、夫妻は池上で店を開くことを決意し、鶏エキスを料理に取り入れた、唯一無二の味わい空間をつくり上げました。

 

開店当初は資金も限られており、古い家屋を借りて自分たちで壁を塗り、内装を整え、食器やテーブル、椅子に至るまで一つ一つ自ら選びました。賴文貞さんは笑って言います。

「ここにあるものは、すべて私たちの手でつくったものなんです。」

店の看板は、放し飼い地鶏料理。香ばしく焼き上げた鶏もも肉、滋養たっぷりの滴鶏スープ、塩焼きチキンなど、身が締まり、甘みと旨味が濃い味わいが多くの美食家を魅了しました。同時に、滴鶏精の知名度も大きく高まりました。

 

2020年、方健祐さんが実家に戻り、養鶏場との連携業務に専念することになり、頼文貞さんは一人で店を切り盛りするようになります。迷いや不安もあったと語りながらも、その挑戦の中で力を見出し、「地雞町」を自分自身の舞台として育ててきました。時が経つにつれ、彼女は池上の暮らしに溶け込み、地域の活動に参加し、人とのつながりを深め、この土地の厚みと人情を改めて感じるようになります。

 

花芸を愛する彼女は、テーブルや窓辺に花を飾り始めました。柔らかな色彩と古民家の佇まいが溶け合い、空間に新たな命を吹き込み、思いがけず花を愛する客たちも引き寄せました。今では、フラワーアレンジメント教室や料理体験、親子向けサマーキャンプも開催し、「地雞町」はレストランから文化交流の場へと姿を広げています。

 

夜が更けても、古い家の中には鶏スープの香りが漂い続けます。

頼文貞にとってここは、ただの店ではありません。花と料理を通して紡がれた、池上とのやさしく、そして揺るぎない結びつき――そんな「帰る場所」の物語なのです。



熊良心生態顧問公司(熊良心エコロジーコンサルティング会社)|池上を、もう一歩“完全”に

熊良心生態顧問公司は、林耿弘さんによって設立されました。

池上の生態を守る存在となる以前、彼は病院で医療映像の記録者として、手術室や診察室を行き来する日々を送っていました。都市の喧騒の中では心が落ち着かず、そんな中、緑島の生態ドキュメンタリーを撮影したことが、自然の息づかいと心の静けさを再び感じるきっかけとなり、故郷へ戻る決意につながりました。

 

「熊良心」という名前は、友人から付けられたあだ名「黒熊」に由来します。

彼は笑ってこう語ります。

ツキノワグマは台湾の守り手。私たちも土地の守り手になりたいんです。」

 

記者として何度も池上を取材する中で、彼は地域が抱える生態の課題を目の当たりにしました。

「報道するだけでは現実は変えられない」と感じた彼は、行動を選び、会社を立ち上げました。

生態モニタリングや「生態力ラベル」の推進を通じて、農家が自然と共存できる仕組みを支援し、池上米の価値を、より深く、より本質的なものへと高めています。

 

熊良心のチームは、さらに体験型のツアープログラムも企画しています。

例えば「一つのお弁当から始まる旅」。

お弁当箱に入ったお米や野菜を通して、田んぼの物語や生態系のつながりを知ってもらう取り組みです。

こうしたツアーは親子連れに人気があり、観光客だけでなく、多くの地元住民も参加しています。

林耿弘さんは言います。

「教育はとても大切です。こうした交流を通じて、この土地の素晴らしさが子どもたち一人ひとりの心に残れば、きっと大人になった時、環境をより大切にしてくれるはずです。」

守ろうとする人がいて、耳を傾けようとする人がいる限り、この土地はきちんと大切にされ続けます。

池上の米、池上の水、池上の鳥たちは、未来へと受け継がれていくのです。

林耿弘さんはこう締めくくります。

「本当の持続可能性はスローガンではありません。ここに残り、日々、土地と共に歩むこと。池上はすでに99点。私が補いたいのは、“生態”のその1点です。」



​鉄馬驛站|自分の足で、大地の物語を踏みしめる

潘信惠さんは、池上出身のアミ(阿美)族。

かつては台北でファッションデザインや美容、貿易の仕事に携わり、さらに南投で飲食店を経営した経験もあります。

都市と農村を行き来する人生の軌跡をたどりながらも、最終的に彼女が戻ってきたのは、稲穂の波が広がるこの土地でした。

 

2009年、彼女は「鉄馬驛站」を創設。

茅葺きの小屋を起点に、文化の拠点を築き上げました。

ここには、手工芸品や小米酒、月桃葉包裹的獵人便當(月桃の葉で包んだ狩人弁当)だけでなく、祖霊(先祖)の知恵が受け継がれる物語があります。

「これは祖霊に導かれた食文化です」と彼女は語ります。

「作らないものは食べない、食べないものは作らない。」地元の食材を使いながら、アミ族の文化を語り継いでいます。

 

俳優の金城武氏の木が話題となり、伯朗大道に観光客が押し寄せた時、彼女は敏感に感じ取りました。(金城武氏のTVCMの撮影場所となった伯朗大道の木)

「人の流れは、チャンスでもある。」

そこで彼女は発想の転換をし、自転車を媒介として、文化が静かに待つ存在ではなく、旅人が自ら踏み込んでくる存在へと変えていきました。

 

2014年、彼女は池上でいち早く自転車レンタルを始めた事業者の一人となります。

鉄馬驛站は一般的なレンタサイクル店とは異なり、自転車を借りられるだけでなく、小米酒、野梅、ドライフルーツなどの部落特産品を購入でき、さらにはガイドツアーへの参加も可能です。

こうして鉄馬驛站は、観光と文化、経済と土地が交差する場所となりました。

 

近年は、自転車店の運営とガイドサービスに力を入れ、田園風景、生態系、稲作、そして物語を結びつけながら、旅人をよりゆったりとしたペースで池上へと案内しています。

「自転車で探検することこそ、池上を知る一番いい方法。ゆっくり進まないと、本当の土地の姿は見えてこない。」

将来は、子どもたちや、Uターン・定住を選ぶ若者たちへ、少しずつ役割を託していきたいと考えています。

彼女はいつもこう励まします。

「努力すれば、必ずチャンスはある。本気で取り組むなら、私は舞台を用意する。そうすれば、あなたたちの暮らしも安定する。」



如何でしたか?何か感じる事、考えさせられる事はありましたでしょうか。

「地元は人が少ない」「地元には産業がない」「地元には何もない」という声をよく聞きます。しかし、本当にそうでしょうか?

今は過疎化が進み、高齢化が進んだ地域も、その昔は大勢の人が住んでいた。そこには、歴史があり、地元の文化があった。しかし、当時の主力産業の衰退等々の理由で人がそこを去り、今の様な状態になった。

そこには本当に可能性はないのでしょうか。最初から可能性を見ようとしていないだけではないでしょうか。

台湾の人は「無ければ作ればいい」という考え方をします。その際に重要視するのが、文化、歴史、習慣です。

嘆く前に、まずは原点に戻り、可能性を見出す努力を本気でしているかを自問自答してください。

 

「今が正しい」「これしかない」「こうでなければならない」という全ての固定観念を捨て、一度、故郷へ行ってみてください。地方へ行ってみてください。

「何もない」はすなわち、「あらゆる可能性がある」という意味ではないでしょうか。

 

出典:臺東縣池上鄉公所

写真:同上

この記事は2025年11月~12月に臺東縣池上鄉公所(Facebook)が発表した「臺東縣池上鄉慢城產業推動計畫 #店家故事」の内容を日本語訳し活用したものです。原文と相違がある場合は、公式サイトに掲載されている原文が優先されます。