台湾・台東県(縣)ニュース

日本人にはあまり馴染みのない東台湾・台東縣。今、台東縣では地域活性化・地方創生を成功させ、確実に成果を挙げています。その台東縣の最新ニュースをお届けします。

創造性が輝き、知恵が舞い上がる台東縣の子供達 世界に通用するデジタル教育で偉業を成し遂げる子供達!

第11回2025年度青少年創造発明コンテスト(2025 第11屆青少年創意發明競賽)が11月28日、台東先史博物館で開催された。

23校、237名の教師と生徒が参加し、100点を超える作品が展示され、台東の学生たちの革新的なアイデアが勢ぞろいした。

台東縣饒慶鈴縣長(知事)もイベントに出席し、「発明は子供たちが人生における課題を発見し、解決し、夢を実現するための重要なプロセスである」と述べ、学生たちに大胆に挑戦し、創造性を行動に移すよう激励した。

 

近年、台東は国際舞台で輝かしい成績を収めており、過去3年間でドイツのニュルンベルク国際発明展とアメリカのレオナルド・ダ・ヴィンチ国際発明展でそれぞれ金賞11個、銀賞4個、特別賞5個を受賞した。今年11月には、ニュルンベルク国際発明展でさらに輝かしい成果が生まれました。11月6日の記事でも紹介したが、長濱國中(中学校)は「ゼロコンタクト・ヘルスケア・エンジェル(零接觸護康天使)」で金賞を、豐田國中(中学校)は「インテリジェント送水ポンプ(智慧型汲水器)」で銀賞と創造性特別賞を受賞した。

今回のイベントでは、饒慶鈴縣長は両校と生徒に賞を授与し、指導した教師に対し、その努力を称えた。

 

今年のコンテストの応募作品は、環境保護、健康管理、スマートライフといったテーマを網羅し、子どもたちの観察力と創造性が存分に発揮された。

台東縣政府教育處は、「実践を通して学び、学びを通して創造する(做中學、學中創)」という理念を今後も推進し、台東に科学技術教育を根付かせ、子どもたちが勇気ある小さな発明家へと成長できるよう支援していくと述べた。



さらに、台東縣の國小(小学校)も偉業を成し遂げた。台東のデジタル教育が再び輝かしい成果を上げたのだ。

教育部(日本の文部科学省)主催の「2025年総統杯AIリテラシーコンテスト(114年度總統盃AI素養爭霸賽)」が11月28日、台南で閉幕した。

台東からは5チームが各部門で全国上位32位以内に入り、子どもたちの確かなAIスキルを証明した。

今回進出したチームは、都市部と農村部の両方から選出されました。

🔹 新生國中國中一般組 2 隊(吳政岡教師指導)

🔹 賓茂國中國中偏鄉組 1 隊(郭宗政教師指導)

🔹 公館國小國小偏鄉組 2 隊(陳俊良教師指導)

その中で、緑島郷公館國小は農村小学校部門で「全国優秀賞」を受賞した。

この偉業に対し、饒慶鈴縣長は、「公館國小の田晉戎さん、劉芸安さん、おめでとうございます。江美香校長の指導の元、先生方と共に、プレッシャーのかかるプレッシャーのかかる「ランダムペアリング」形式の決勝戦でも冷静沈着なプレーを披露し、AIモデルの学習技術を巧みに活用して対戦相手を圧倒し、台東に輝かしい記録をもたらしました。」とその功績を称えた。

さらに、「台東縣政府は、スマートキャンパスとAI教育の推進を継続し、すべての子どもたちが自信を持って歩みを進め、舞台に立ち、デジタル時代の世界を見届けられるよう支援していきます。台東の子どもたちは本当に素晴らしいです!」と強調した。


最後に、台東縣緑島郷について簡単に説明をしておきたい。

緑島郷は、太平洋に浮かぶ島嶼により構成され、台湾台東県に属する郷である。

総世帯数は1,103 戸、人口は僅か3,812 人(共に2025年1月現在)の離島である。

台東県緑島郷に属する緑島は、安山岩で形成された火山島であり、かつては「火焼島」と呼ばれていた。1987年まで政治犯収容所があったことでも知られる。珊瑚礁に囲まれた島であり、夏季台湾を代表する観光地の一つである。

その歴史を振り返って見ると、緑島に漢人が移住する以前、約2000年前の新石器時代末期には既に人が住んでいたことが確認されている。島内の遺跡からは大量の石器、石網墜、陶片、石斧などが出土し、同時の生活をうかがい知ることが出来る。日本の人類学者鹿野忠雄によれば先史時代から(つまり文字で歴史が記録されるよりも前の時代から)緑島の住民と台湾東海岸のアミ(阿美)族、プユマ(卑南)族、クバラン(噶瑪蘭)族、ケタガラン(凱達格蘭)族とは密接な交流があったとされる。

遺物と各族の文物、そして各族の伝承を総合し、火焼島の北部は加走湾(現在の長濱郷)、南部は阿塱衛(現在の大武郷)から、晴天時には眺望することが可能であり、阿美族、卑南族と火焼島には交流があり、一部は火焼島に移住したと考えられ、また台湾北部に居住する噶瑪蘭族,凱達格蘭族にも火焼島より祖先が移住したとの伝承が残っていることを明らかにしている。

考古学の専門家である国立台湾大学の宋文薰氏は、緑島の対岸に居住している台東地区の卑南族自身には緑島との関連を示す伝承は残っていないが、一部の部族は緑島と関係する祭祀を継承していると述べている。

 

緑島の有史以前の遺跡としては柚仔湖、呂麻蛟、大白沙、南寮などの地で確認されている。発掘調査により石器、貝器、陶器及び人骨が発掘されている。特に柚仔湖遺跡は遺物が豊富であり、最も詳細に調査が行われた。宋文薰は『琉球与緑島的史前文化』の結びの中で、有史以前の緑島はフィリピンから台湾東海岸に移住する諸民族の移動の中継地点であったと述べている。

 

漢人の入植は、史料によれば清代乾隆年間から嘉慶初にかけ、小琉球の住民が木材伐採或いは漁業を目的に屏東県と緑島間を行き来していた。1803年には陳必先が族人30余人を率いて緑島に入植し、漢人が緑島に移住した最初の記録となっている。その後は漢人の入植が続き、公館より西方に開発し楠仔湖、柚仔湖、大湖を、南方に向かって開発し柴口、中寮、南寮などの集落が次第に形成されていった。道光年間には草山埔、海参坪、亀湾などの開発も行なわれ、全島にわたって開発が行なわれた。

 

台湾文化史によると、喜慶年間に漁にでた小琉球峡の曾勝開他30名が漂流し、久しく無人であった火焼島に到着、ここを仮宿に定め、親戚縁者を小琉球より呼び寄せ集落を形成したとされる。

 

日本統治時代には、一般に適用されていた台湾窮民救助規則があったが、仕事や住居が定まらない流入民等に戒告し、行状を改めない場合は強制定住地又は浮浪者収容所での労役が課されるとした「台湾浮浪者取締規則」が台湾総督府より公布された。

1912年8月に台湾で2つ目となる就役地として火焼島に「台東火焼島浮浪者収容所」が設置されたが、1920年に行政の取締が立地的に行き届かないとの事由で廃止となり、同年10月1日に行政事務を取り扱う役場が台東庁火焼島区南寮に設置された。

この間の1914年5月5日に台東郵便局「火焼島郵便派出所」が設置され、島ではじめての郵便事業が開始された。また、1931年7月から火焼島漁業組合の漁業無線局が運営開始され、火焼島灯台が1939年7月に点灯開始したことなどから、漁船等を含む海上交通の利便性が向上した。

 

元来は「火焼島」と称されていたが、1949年5月21日に「緑島」と改称された。

 

台湾光復後、中華民国政府により台湾省戒厳令が敷かれ、白色テロといわれたほどの恐怖政治の下、緑島には政治犯収容を目的とした教育施設と監獄が置かれ、一般市民の渡航は制限された。 設置された2つの施設のうちひとつは、思想改造及び労働更生を目的とした「新生訓導処」で1951年から1965年まで設置されていた。このときの女性収容者の状況をテーマにした映画として、『流麻溝十五号』がある。また、最盛期に収容人数が2000人に上ったとも言われる監獄「緑州山荘国防部緑島感訓監獄」(通称は緑洲山荘)は、1972年から1987年まで設置された。

 

1980年に戒厳令が解除されると、台湾でのレジャーブームにより緑島への観光客が増加しつつあり、観光業を中心とした発展を見て現在に至っている。新生訓導処と緑州山荘国防部緑島感訓監獄を含む区域が緑島人権文化園区に整備され、2003年に「人権記念公園」が設置されている。

 

この様な歴史を持つ緑島郷の小さな小学校の児童が、成し遂げた快挙。台東縣政府が如何に、都市部、農村部区別なく、徹底したデジタル教育を行っているかがよくわかる。

 

出典:台東縣政府教育處

写真:同上

この記事は2025.11.28台東縣政府教育處発表の内容を日本語訳し活用したものです。原文と相違がある場合は、公式サイトに掲載されている原文が優先されます。